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藤島神社 (長野県岡谷市)

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藤島神社 (ふじしまじんじゃ)



住所:長野県岡谷市川岸上1丁目1 (N36°03’12”、E138°02’04” )

最寄の交通手段:JR中央本線「岡谷駅」下車、シルキーバス・川岸線「中央印刷前」下車




藤島神社は長野県岡谷市に鎮座する神社。

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岡谷市のJR中央本線が分岐する場所の北西すぐの場所、川岸地区の中央印刷蠅ある県道14号線にひっそり鎮座している。

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「神社名は無く、「岡谷市指定史跡 川岸天竜河畔 諏訪明神入諏伝説の地」の標柱が立つ。」

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・神代の古戦場跡に鎮座する

ここは諏訪信仰において建御名方神と洩矢神との古戦場で、天竜川を挟んで対岸に洩矢神の本陣があったという洩矢神社があり、この藤島神社と対になっている。

鎮座している場所は建御名方神が本陣をおいた場所ということであるものの、祭神に関しての資料が手元にないため何とも言えず、諏訪大社の所管である藤島社が木花咲耶姫を祭神としているらしいという事などもあり、いまいちハッキリわからない。


ここに陣を置いたとされる建御名方神は諏訪大社の祭神でもあり諏訪信仰の中で最も重要な神様である。

延文元年(1356)の「諏訪大明神絵詞」によれば、元は洩矢神が諏訪地方を治めていて、そこに素盞嗚尊の子孫・建御名方命が諏訪に侵入して、この天竜川を挟んで対峙。洩矢神は鉄の輪、建御名方命は藤の枝で戦うも、洩矢神の持つ鉄の輪が建御名方命の藤の枝によって朽ちてしまったため敗北した。

この建御名方命と洩矢神の戦場となったのが現在の岡谷市川岸地区で、建御名方命が陣を構えたのはこの藤島神社のある場所で、洩矢神は天竜川を挟んで対岸の洩矢神社が本陣跡だと言われる。

洩矢神は建御名方命に服属して、建御名方命も洩矢神を排除するようなことはせず、諏訪の神は建御名方命に、洩矢神はその筆頭神官である神長官となり、子孫がそれぞれ大祝・諏訪家、神長官・守矢家として諏訪地方を共同で治めてきた。

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「藤島神社から対岸の洩矢神社を望む。(写真中央の森)」

ちなみに、藤島神社が鎮座するのは古戦場であるのと同時に、荒神塚古墳(こうじんづか)という古墳でもある。

県道の拡張工事などで石室などかなりの部分が壊されてしまい見る影もない。

現在、荒神塚古墳の遺物は岡谷市立美術・考古館において、展示収蔵されている。

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