住所:青森県弘前市笹森町38 (E140°28'41" N40°36'20" )
旧県社
旧国郡:陸奥國津軽郡
神紋:三つ葉葵
祭神:[主祭神]徳川家康
:[配祀]天照皇大御神
:[配祀]天照皇大御神
例祭日:(7月16,17日)
最寄の交通機関:
弘前東照宮は青森県弘前市に鎮座している徳川家康を祭神とする東照宮で、正しくは東照宮だが地名から弘前東照宮と呼ばれていた。
参道入口には社号標はおろか神社にあるはずの狛犬や灯籠・社務所などは何もなく、神社だと分かる部分は本殿と木々のみで、あとは何か建っていたと思われる広いスペースだけがそこにはあった。
・事業拡大に失敗した神社の末路は…
元和3年(1617)、弘前藩2代藩主・津軽信枚の正室として家康の養女・満天姫を迎え、東照大権現の真影を拝戴し、二代将軍・徳川秀忠の許しを得て城内に創建し北門鎮護・津軽安泰を祈ったという。
寛永元年(1624)現地に遷座、寛永5年に新たに別当寺として東照院(後に岩鬼山薬王院叡平寺と改称)が置かれ、桃井、山辺の二社家に祭祀を行わせ藩の直祭社として崇敬された。
明治12年(1879年)に郷社、明治14年(1881年)に県社に列格された。
昭和28年に重要文化財建造物として東照宮本殿が指定された。
平成になり神社が運営していた結婚式場などへの過大投資やバブル崩壊の影響もあってか経営難になり、平成19年(2007年)に宗教活動を停止。
平成20年には文化財指定の本殿を除く境内や建物は競売にかけられ東京の不動産会社の所有になったものの債務整理が進まず、平成24年(2012年)4月に青森地方裁判所弘前支部から破産手続開始の決定を受け、神社の建物などは本殿を除いて全て取り壊された。
神社の破産は横浜市の伊勢山皇大神宮につづき2例目。
本殿は一時的に弘前市の所有となり競売等により売却される見通しで、参拝時(平成25年2月)には本殿の前の開口部には中に入れないように新たに板塀が付けられていた。
平成27年(2015年)6月16日に、黒石市の黒石神社の摂社として新たに東照宮が建立され、弘前東照宮に祀られていた徳川家康公の御神体を遷座されると共に、前述の満天姫を神格化し相殿神として祀られたそうである。
ちなみに黒石神社のある黒石市は、弘前藩の支藩の黒石藩が置かれており、初代藩主は満天姫の子の津軽信英で、現在の黒石神社の宮司さんも黒石津軽家の方である。